WEB版 歌集『銀河最終便』 &メモ /風間祥
Finality mail of the Milky Way

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『歌壇』9月号「歌集歌書の森」で、落合けい子さんが書評を書いて下さいました。                 

望月祥世歌集『銀河最終便』    落合けい子

 宙を漂うような寂しさと孤独感がない交ぜになっていて切ない。
日常の呟きのような言葉が、つぎつぎ泡のように浮かんでは消えてゆく。
望月さんは、その一瞬一瞬の言葉を必死で繋ぎ留めようとしているようだ。

  誰一人訪ねる人のない家に似ている 風が過ぎた青空
  木登りの上手な猿と下手な猿 上手な猿はいつまでも猿
  雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨 甍に軒に私に降る

 一首目の比喩はとても個性的で魅力的。しかも奇妙なリアリティが存在する。
猿の歌はやや理が見えるけれども、省略の効いた良い歌だと思う次の歌の雨の表記はあまり成功しているとは思えない。
偶々一字開けの歌が揃ったが、意味的内容を詰め込む傾向にあるようだ。
故に一字開け多用になるのではないだろうか。
歌意から開放されて、リズムに乗った時、望月さんの歌は美しい世界を展開する。

  今日もまた夢を見ている夢見ればあなたに逢える 硝子の狐

 紙幅の関係で詳細には触れられないが、製作順の三部構成で、第一歌集というのも分かるのだけど、一一一九首は多いと思う。巻頭歌と、本集とは角度の違う歌を挙げておきたい。

  光彩を放っているね移り気な忘恩の花ラナンキュラスよ
  絵葉書のグラン・ブルーに百匹のイルカが描く海の曲線


  (本阿弥書店 二〇〇〇円税別)
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私信の中で選んで下さった歌                 
松村由利子さん  
・バルトーク、ショスタコビッチ、プロコフィエフ  圧政ありて鳴り出だす音
・森の奥 予言の鳥は飛んだかしら シューマンの鳥、眠りの森の
・わたくしが雨であるなら弾かれて草の葉つたう雨の一粒
・細心の注意を払って生きなさい 昨日生まれた月の繊さで
・全部嘘、たとえそれでもいいじゃない 舞台には降る太鼓の雪が

内野光子さん  
・森の樹の小枝であったその時も風は知らずに吹きすぎていた
・大切な一日のため雨よ降れ しずかにひらいてゆく花がある
・あの時は逃げられなかった今ならば逃げられるかしら列を乱して
・眠ろうとしても何だか眠れない 普通に戦争している時代
・映すのはやめて下さい 被災者の一人は疲れた明日の私
・千年を遥かに越えて生きている大きな樹ならわかってくれる
・命令を下されるため私たちは生まれて来ているわけではなくて
・もう過去のものと葬り去るようなこの書き方だって問題ではある
・万世が一系というそのことの何が尊くまたはそうでなく
・その前に日本人は 世界の人に先だって忘れるヒロシマ

岡貴子さん  
・でもやがて魚が中に入って来て 私は魚になっていました

青柳守音さん  
・少し前まで誰かを愛していたような真っ赤に炎えている七竈

前川博さん  
・ソノヒトガモウイナイコト 秋の日に不思議な楽器空にあること
・もう飛べない飛びたい夢ももう持たない東京湾に夕日が落ちる 
・原潜が浮上している春うらら東京湾に立つ蜃気楼  
・この星のどこかに必ずいるだろう 反世界にも雨のかたつむり
・菜の花のような四月の日暮れ時 あなたは元気にお過ごしですか
・問題は終わってしまってから生きるその生き方のことではあるが

熊谷龍子さん   
・やがてもう死もなく生もない世界 時が洗っていった砂浜
・昨日また誰か死んだね、雨の燕「いつもこの駅で降りていた人」
・変わらない日々の中にも終楽章もう近いことを告げて花咲く
・ほんとうは誰にも何にも興味なくエノコロ草は風に吹かれる
・この後の悲喜にどうして堪えてゆく靄と霞と霧の差ほどの
・青空の向こうの向こうまで一人 一番好きな時間の形
・眼下には桃源郷が広がって葡萄の丘がそれに続いて
・つくづくと薄情者で非人間 それが私と雨を見ている

真中朋久さん  
・雨の音聴きながら見る財田川 財田川河口の廃船
・夏来ればさやぐ身なれば白い旅 水呑む龍が睨む一水
・古の青磁の海に泳ぐ魚 神無月という陽のやわらかさ
・あの貨車は今どのあたり過ぎている 遠い銀河をゆく夏燕
・木はのぼり木は広がって密生すジャスミンの木の香る三叉路
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『氷原』8月号「新集一首」で、                 


三崎規子さんの一首評を頂きました。
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「新集一首」

・抵抗の手段としては弱すぎる もちろんそういうことはあります
   望月祥世=『銀河最終便』(本阿弥書店)     
  
「抵抗の手段としては弱すぎる。」
私も、今までに何度もそう言われた。
その度に、目の前に立ちはだかっている現実の重さに打ちひしがれ、
次第に抵抗することをあきらめるよようになった。
私達が容易に受け入れることができない現実とは、
例えば、いやおうなく定まっていく社会の仕組み、組織や家庭の中で自動的にあてがわれる役割分担、あるいはとどめようもない速さで過ぎていく時間、そして老いや死、などであろうか。
これらの現実に抵抗を試みようとしても、私達に与えられた手段は限られている。
しかし、この歌の作者は決してあきらめてはいない。
果たして「短歌」は抵抗の手段としては本当に弱すぎるのだろうか。
「もちろんそういうことはあります」
作者はいう。しかしこれは決して譲歩ではない。
むしろ、そのあとに続く作者の朗々たる反論の声が、聞こえてくるようである。
                 [三崎 規子]

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相沢光恵さんが、『あすなろ』第136号で、                 
『銀河最終便』の書評を書いてくださいました。
許可を得てUPさせて頂きます。






歌集『銀河最終便』 望月祥世著       相沢光恵                            


 灰色がかった地色に星を思わせるぼかしと細い線。白く抜か
れたタイトルと著者の名。あすなろ誌よりひと周り小ぶりな形
をした瀟洒な歌集である。見ただけでは、この中に千首以上収
められているとは思えないが、著者の長いであろう歌作りの想
いがこもった一冊である。
この歌集は三章に分かれ、(一一七首)花言葉や音楽、海
に関する歌。(一五〇首)インターネット歌会などで他者と
関わりながら書いた歌。(八五二首)WEB日記で書いた二
〇〇三年以降の作品。それぞれ、ほぼ年代順に抄出とのことで
あるが、歌数だけでなくその質も見事な第一歌集である。

 ・ライラック苦しきことを忘れんと買い求めくる水無月の花
 ・死者の首を奪っておいで イチハツの花咲きいでて美しい月
 ・アヤメ咲く危め殺めと変換す 薄紫に野原を染める

 気硫峪貊犬茲蝓なぜか花の匂いがしてこない。魅力にかけ
るというのではない、それどころかこの小題のもとに詠われて
いる花の数々、詠いぶりは圧巻である。だけど、『銀河最終便』
のイメージではない。なぜ、と疑問をもつタイトルのことを私
流に考えると、ヒントは「アヤメ咲く危め殺めと変換す」にあ
る。著者はパソコンの巧者であり、インターネットの世界にも
詳しい人である。この世界への繋がりどきは多分、夜、それも
深夜まで・・・。そこで生まれる歌の記録として、このタイトル
で括ったのではないか。

 もちろん。 宮沢賢治やサン・テグジュぺリなど、さらには、
現在欠かせない人工衛星の存在も含まれてのものかもしれない。
偏見かと自覚の上で、あるいは先入観ゆえに、理性の勝った花
の歌と感じてしまったともいえる。そうではあるが、『銀河最終
便』とはすばらしい命名、いや歌集名である。

 ・舞台には時空をこえる橋が架かり 江戸のすべてが通って行った
 ・魚屋も飛脚も手代も虚無僧も 遊女も瓦版売りも通って行った

この二首は並んでいる。前の歌の「江戸のすべて」この具体
が後の歌という、歌舞伎を観せる仕掛けが面白い。

 ・旋回、旋回、旋回、旋回、グランジュテ! 薔薇、薔薇の精、跳ぶニジンスキー

 臨場感たっぷりの破調。すでにニジンスキーはこの世の人で
はないのに著者の眼はそこに名舞踏家を重ねているのであろう。
著者の感性が定型には納まらなかった。
 次の歌も好きである。

 ・貝殻を取りたくたって離れない中から腐るだけの流木

 へえー?。流木は中から腐るのか。不思議な気分になる歌。

 ・淋しくてひとりぼっちで悲しくてヒマラヤシーダの枝走る栗鼠
 ・そんにも羞ずかしがりやのきみだから残して帰る春のヒマラヤ

 ヒマラヤに残して帰るのは何だろう。枝走る栗鼠では面白く
ない。きみは君とは違うとして、それでは何があるのかと思う。
もしかして山? すぐに雲に隠れたがるヒマラヤの山々には個
性的な名がある。まして春には密かに咲く花もあるそうだ。だ
から残して帰るのは山そのものとしておきたい。

 ・古備前は深夜ひそかに鳴るという 満身創痍の備前の壷が

出来上がったとき、すでに古備前は満身創痍の状態である。
どんなに歳月がたったところで、遠い記憶は消えない。痛い、
熱い、密やかに泣いている心算でも、壷に響いて音となる。

  ・水がほしい水がほしいと根を張って根ばかり張って瘤だらけの樹だ

人生は順風ばかりではない。著者が瘤だらけの樹に出遭った
ときの印象として、生まれたのではないか。叶わないけれども
求めて止まない樹への思いは「瘤だらけの樹だ」と結句をあえ
て一音多くしている。

・岩場には岩場の色のイグアナが重なりあって海を見ていた

著者の位置が想像できる。絶対イグアナの一人ではない。

・渦巻いているね世界がゆっくりと流れるように死んでゆくのか
・いつのまに死んでいたのか あの人もあの人もあの人ももういない

この二首は随分離れて置かれていた。ときには厭世的な心情
に駆られたりもあるのは不思議ではない。著者がいつもそんな
想いを抱いて生きているような歌に、私は惹かれるのである。

 千首以上の編集となると、それだけでも大変なことと思われ
る。体裁はコンパクトであるだけに、意表を衝かれたものの、
歌の面白さが著者と重なる。この沢山の歌はインターネッ
ト上での洗礼をすでに受けていると思われるが、自由な歌
作りに孤軍奮闘している者どうしとしては著者のこの歌集の完
成を大変喜ばしくも思ってもいる。では、最後の歌。

  ・千年の森の時間が止まるとき地球の皮を一枚捲る



                             ─『あすなろ』第136号─

※なお、記事の改行・行間は、掲載誌に拠りましたが、
読み易くするため、引用歌の部分のみ、一行に書き流し、
行間を設けさせて頂きました(7月6日、望月祥世)。
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『銀河最終便』歌のふるさと                 

イエティ


《淡々とこのかなしみに堪えること イエティの棲むネパールの空》



大きな大きなイブキの木 カイヅカイブキの雪男という

明け方の大学構内歩く時 ヒマラヤ杉がピラミッドに見え

薔薇色の空をバックに立っているヒマラヤシーダの大きな影が

淋しくてひとりぼっちで悲しくて ヒマラヤシーダの枝走る栗鼠

そういえばユウマのママはどうしてる? 女優だったね擦れた声の

アシベにはいつ頃さようならをして芥子の思い出ヒマラヤの芥子

捜しても見つからないって知っている雪の陽だまりから消えたきみ

人里に近づいたとき聞こえたね きみの嫌いな雪崩の音も

ヒマラヤの水に雪(すす)がれ氷より透明な色、欠片の形

雪だるま スノウマンにも春は来て 溶けてしまった夢の紫

ふかふかの綿毛の中の小さくてやさしい瞳 きみの青空

そんなにも羞ずかしがりやのきみだから残して帰る 春のヒマラヤ

桃色のてのひらにただひとひらの茉莉花にぎって息絶えていた

薔薇、水仙、ジャスミン香る春の夜 月光降りて蘇る花


 

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郵便局                 

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浅利瑞穂さんが選んで下さった50首。                 
「短歌人」「未来」「玲瓏」でご一緒した浅利瑞穂さんが、
50首を選んで下さいました。

望月祥世歌集『銀河最終便』より五十首選 / 浅利瑞穂

・風でした海を渡って行ったのは 主従八十余騎の武者絵の
・誰一人訪ねる人のない家に似ている 風が過ぎた青空
・もう飛べない飛びたい夢ももう持たない東京湾に夕日が落ちる 
・ゆっくりと記憶の野火は放たれて手負いの獣追いつめてゆく
・土蜘蛛は長病みにけり病み臥して心弱りて糸吐きにけり
・吊り革がゆっくり揺れて吊り革の先に透明傘が一本
・てのひらに残るぬくもり月光の生み落したるひかりの卵
・苦蓬・チェルノブイリの4号炉覆う石棺 雨のロシアの
・人が死ぬ その時何が起こるのか 花束を乗せた始発電車よ
・廃線のレールがのびてゆく村にひらく月夜の無数の茸 

・宙をゆく風の帆舟や月の馬 虚空の底に湧く星の砂
・もの憂くて倦んで疲れて死にたくて心の奥のガラス砕けて
・この空の見えない玻璃を突き抜けてあなたの鳥が飛んでゆく秋
・何事もないかのように朝は来る消えた楽譜の淋しい音符
・遠からず死は現実のものとなる 雨に打たれている曼珠沙華
・あの貨車は今どのあたり過ぎている 遠い銀河をゆく夏燕
・夏の庭 古い庭には古井戸と思い出だけが住んでいました
・鳥籠に鳥を飼ったら青空の果てを見せてはいけないという
・「死に至る病」ではない憂鬱というのでもない 雨の気配か
・眠くなる 最後は眠くなって死ぬのだろうか 鳥たちも

・火祭りの写真をどうもありがとう篝火はまだ燃えていますか
・失って滅びていつか消えてゆくそれでも人は夢見るさくら
・「一期は夢よただ狂え」狂いて死せる宅間守か
・日本ではまず同胞に殺される 愚か者よと切り捨てられる
・恐ろしい時代が来るという気がする 罅割れている時代の背中
・逃げるしかない人生があることを酸漿色の冬の夕暮れ
・とある日の風であったか春の日の夢であったかすれ違う影
・何回も書き直した線が綺麗であるわけがない推敲を認めない
・完璧に停止している何もかも この苛々はそのせいなのだ
・全部嘘、たとえそれでもいいじゃない 舞台には降る太鼓の雪

・いいのかな、言われっ放しでそのままで 理路整然と片づけられて
・私はこの頃空を見ていない 花の向こうに空はあるのに
・この世という遠いところに二人会いやがて離れゆく二つの影か
・氷雨にも耐えた桜が微風にも散ってゆきます春暮れる頃
・究極のシュールは写実であるというダリの直感的なパンの絵
・一切は流れ流れて空の果て 彩雲生れて老残を見ず
・仲間を持ち家族をもって恐竜は群れて集って滅びて行った
・恐竜も鯨も虹を見たかしら 嵐が置いてゆくという虹
・苦しくてならぬと傾いでゆく身体 大王松の一生終わる
・ただ踊る 踊るに任せ褒めもせず叱りもせずに育てるという

・日常はそんなときにも日常であったであろう投下直前
・このままで死んでしまえば虚しいねカランコロンと夏の坂道
・日ごと死は近づいていて一心に後生の大事せよと古典は
・急がなければならない時が来ています既に終りが始まっている
・いつまでの桜吹雪か生きて逢うこれが最後と四月の吹雪
・足跡のほかには何も残さない その足跡も波が消し去る
・福音書の一節に言う忘れがたく《怒りのために罪を犯すな》
・その知らせはいつか来るはず その日を恐れその日を思う
・誰もいない何にもない辿りつくその空間を死と呼んでみる
・社会的適応をして私は大事なものを棄てて来ました

以上、50首。



+2首 

・何事もないかのように朝は来る消えた楽譜の淋しい音符
・もう既に死んでいるものが改めて死んでも何も不思議はない


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角川『短歌』7月号「歌集歌書を読む」で、佐藤弓生さんが、                 


『銀河最終便』を
ご紹介下さいました。


●望月祥世歌集『銀河最終便』

 『インターネットで発表した1119首を収録。
芸術や異国や自然への憧れ、社会の不条理への怒り、
死者への哀惜などが心の記録として綴られる。

   海を見る覚城院の一角に在りし都の花零れ咲く

   一人でいい一人がいいと春の月 いつしか水に還った海月

   映すのはやめて下さい 被災者の一人は疲れた明日の私

   憂鬱は深くしずかに潜行し木に咲く花のように身を裂く

 他者と関わるなかで疲弊しがちな自我が、遠い時や場所を夢想する
ことで息を継ぐ。
さらに呼吸を深めて、飛距離の長い歌作を試みてほしい。』
         (平成19年4月25日 本阿弥書店 税別2000円)


                  角川『短歌』7月号「歌集歌書を読む」  佐藤弓生
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阿部嘉昭さんに頂いた歌集評から                 
『銀河最終便』(本阿弥書店)について、
阿部嘉昭さんから感想を頂きました
ブログ、ホームページ掲載のものでないため、
クリックして見に行って頂くことができません。
私信の形で戴いたものですが、
阿部さんに許可を得てブログにUPさせていただくことにしました。
(なお、阿部さんの岡井隆論、水原紫苑論も興味深いものですので、
阿部さんのファンサイトに掲載されている記事を、これは勝手にご紹介させて頂きます。)

なお、阿部さんご自身によるブログ  『ポップスとは何か ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ』が、その後出来ているようですので、そのURLもご案内させて頂きました。

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●望月祥世・銀河最終便


望月祥世様

いまようやく、歌集『銀河最終便』を拝読終わりました。
1119首とは、ものすごくボリュームでした。
読後にかなりの満腹感があります。

僕が殊更の秀歌としるししたのは以下でした。


《七転び八起きの八が来ないからショーソン作曲「詩曲」の中へ》

《一切の敵に離れて春の城 連歌に遊ぶ 滅びてあらむ》

《ソノヒトガモウイナイコト 秋の日に不思議な楽器空にあること》

《水よりも静かに時を刻む音ユンハンス製目覚まし時計》

《森の香も清しき樫の木の舟も二人の櫂も流されていた》

《てのひらに残るぬくもり月光の生み落としたるひかりの卵》

《憂愁・苦悩・絶望・悲惨・呪詛・傲慢あなたが見ていたのは万華鏡》

《水盤に真紅の薔薇を浮かばせて魚の眠りのような一日》

《紫木蓮、白木蓮が並び立つ白木蓮から零れて落ちる》

《手紙には雪解け水の冷たさと春の香りのする草のこと》

《いつだってリアルタイムで書いていて私の鳥は記憶喪失》

《わたくしが雨であるなら弾かれて草の葉つたう雨の一粒》

《カリフラワー、キャベツの仲間ではあるが脳葉に似て春の虚しさ》
(この歌、「仲間」が「眷属」ならもっとよかった)

《ためつすがめつしているうちに一本の樹になってしまえり翠の桜》

《山あいの生姜り花の薄紫 雨の日、雨のひかりあること》

《抜け殻になったら逢おう魂の三重連の水車が回る》

《何かしら悲しい音がするようだ水禽がまた浮巣を作る》

《アレビレオ、デネブ、銀河を飛ぶ鳥が白鳥であるこの世の優雅》

《火星には確かに水があったという 地球に残る水の儚さ》

《ほの甘き千枚漬けの千枚の襞に隠れている赤唐辛子》

《花水木はらはら散れば花筏 一期一会としたためよ歌》

《脱落と脱出の違い知らぬままこの世の淵をさまよっている》

《心肺に貝殻虫が棲みついて殺してしまう少女がひとり》

《「思川」という川の橋 その橋が投下地点と特定される》

《貝殻の中には夢と後悔と潮騒に似た夜の音楽》

《不確かな月の引力、半月は地球を切断する磁気送る》

《蜜蜂の目覚めはいつも静かだが時々死んでいることもある》

《水惑星わずかに歪みなお僅か自転の速度早まるという》

《私ならきっと話してしまうだろう 枇杷の木に吹く風のことなど》

《あるいはそれは自信の問題かも知れず水仙の咲く水辺水際》

《紫の花だいこんに陽はさしてしずかに時は流れてゆけり》

《ゆっくりと俯瞰してゆく鳥の眼の視野の外なる彼岸の桜》

《悲しみを悲しみとして生きてゆく素直に生きて縊られる鶏》

《淡竹茹で蕗茹で雨の日の無聊 雨には雨の光りあること》

《また今日もすすき、刈萱、萩、桔梗、音韻として生まれる生は》

《この後の悲喜にどうして堪えてゆく靄と霞と霧の差ほどの》

《四分儀座流星群が現れる一月四日 戌年の初め》

《そしてまた生まれたばかりの蝶々が吹雪のように飛び立つだろう》

《人生の危篤状態脱出し巣箱のことなど考えている》

《死に上手 白木蓮の咲く頃のとある日暮れの落花のように》

《透明な天使クリオネ別の名をハダカカメガイ肉食の貝》

《たましいのさいはてに咲く花に似て火縄銃にも人の手が要る》


これらはすごく抒情の質がいいとおもいました。
ほかにも数多く、降雨の遍在性に歌想を感じられた歌もありましたね。
雨で、躯ではなく心が動くひと、とおもいました。

ただ、こうして秀吟を抜いてみると、
名詞止めがすごく多いのに気がつきます。
望月さんの個性は、
修飾した名詞に修飾した名詞を対応させる、
塚本邦雄型の喩が多い、ということでしょうが、
それが歌の調べを膠着させ、
詰まらせている例も多いとおもいます。
助詞省略も同様の印象をもたらすし、
並列技法もちょっと多いかな。

動詞・形容詞・副詞どめをして
調べを淡く引き伸ばすと
現状から飛躍的に伸びるのではないでしょうか。

映像作品をふくめた現実、あるいは風景などに
歌の動機を取材なさる手つきは素晴らしいとおもいます。

それと破調歌が失敗しているのではないか。

口語歌には可能性を感じますが、
発想が安直に流れている例も少し目立ちました。
もっと文語(古語)を歌中に交え、
調子を整えたほうが
今後のためにもいいのではないでしょうか。

--と、失礼をかえりみず、おもったことをしるしてみました。
可能性を感じたがゆえの苦言です。
許してください。

それと収録歌数をもっと絞り、
一ページあたりの歌の組数も減らしたほうが
全体が読みやすくなるとおもいます
(ノドの開きにくい造本でしたね。
ノドのほうにも歌が印刷されているので
少し読書動作が辛かったです)。

お節介ながら、おもわず書き込んでしまった添削例を
以下、望月さんの歌→添削のかたちでしるしてみます。

《空に鳥、水に魚というこの春の空の愁いのよう 濁る空》
   ↓
《空に鳥、水に魚とう分散を空に望めどただ濁る春》

《蜻蛉飼う私の脳は可哀想あまり眠りもせずに夜もすがら》
   ↓
《あきつ棲むわがなずき軽くあわれなる夜を眠らずに澄むにまかせて》

《鬱兆す雨期の森には幽かながら杳い遥かな麝香の匂い》
   ↓
《鬱兆す雨中の森ゆ幽かにて胸許を突く麝香の匂いす》

《戦国の時代に生まれ露草の命を武器に戦って殺されていた前世の鷹》
   ↓
《戦国に生れて命の露草を躙られており前世の鷹が》

《からだ中からっぽにしてあの鳥はぼーぼー鳥は啼くのだろうか》
   ↓
《満身を小さきうつろにして鳥はうつろの声を渡らせており》

《眠くなる 最後は眠くなって死ぬのだろうか 鳥たちも》
   ↓
《眠くなる 生の最期に小さなる眠気を覚え鳥も死ぬらし》

《コククジラ、虹を作るという鯨 東京湾は今日花曇り》
   ↓
《虹つくるとうコククジラ東京の湾は茫とし幻の見ゆ》

《深海の底にも森も丘もあり光りを放つ洞窟もある》
   ↓
《深海の底にも森や丘があり濃闇を嗜食する洞もある》


決してうまい添削ではありませんが、
望月さんの歌の弱点がこれらでわかるとおもいます。

今後の歌作、そして第二歌集も期待しています。
ご精進なさってください。
斎藤茂吉を精読なさるといいのでは、と
勝手ながらおもいました。

   阿部嘉昭拝

                         (2007年05月19日)




――もう少し砕いてみる。

《ソノヒトガモウイナイコト 秋の日に不思議な楽器空にあること》
一字アキを「架橋」にしたうえで「こと」が併置される。
スパークが起こる。
忘れがたい、孤独で哀切なヴィジョンがやさしく、
かつ見逃しえない「不安定さ」をともなって定着される。
女性的な自己愛が幽かに顔を出す。
平易な言葉づかい、音律の魅惑――
よってこの歌は「記憶」のなかに淡さとして即座に定着する。

《てのひらに残るぬくもり月光の生み落としたるひかりの卵》
女性身体の寂寥と、その寂寥を是とする諦念の美しさを感じる。
しかもそれが実は「静かに」つよい。
葛原妙子の次の名吟と対比すれば明瞭だろう。
《月光の中なるものら皆逃るさびしき燐寸をわが磨りしかば》(『薔薇窓』)
葛原の「消滅」にたいし、望月さんの「定着」。
その「定着」には「懐胎」の予感も漂う。ものすごい歌だとおもう。

《山あいの生姜の花の薄紫 雨の日、雨のひかりあること》
「アメノヒ アメノヒカリアルコト」の
何という音韻の美しさ、やさ(羞)しさ。
「曇り日のほうが、ものがよくみえる」と語ったのがモネだったが
静かな目線は、雨の日に自体的に満ちている微明の光を捉える。
そのひかりのなかに薄紫の生姜の花があるのか、
あるいはその生姜の花が「雨の日の、雨のひかり」自体なのか。

僕はたぶん「こと」止めが好きだ。
「忘れない」という意志がその語尾に滲むような気がする。
ずっと昔に角川『短歌』選歌欄で塚本邦雄が選び、
僕がとっくに作者名を失念してしまった一首――
《満月の梨の樹下(こじた)の約束は汝(いまし)の通夜の客となること》

《この後の悲喜にどうして堪えてゆく靄と霞と霧の差ほどの》
雨の日に自充する雨の光を見分ける寂寥の眼は
しかし湿気にまつわる「天文」の微差にも捕らわれてゆく。
そうおもわせておいて、
「悲喜」そのものに靄−霞−霧ほどの差しかない、という
ふてぶてしい諦観や虚無感も滲みだす
(こうした「錯視形成」がこの歌の命だ)。
その「ふてぶてしさ」が書き付けられた瞬間、哀しみに転化する。
倒叙こもごも、見事な技法だとおもう。

「靄」の皮膚に逼る感触、「霞」の遠方的抒情の風合い、
そして「霧」の言葉にある散文的な残酷。
歌人もまたそうした言葉の微差を渡るしかない。
だからこそ、次の絶唱に似た述懐もある。
《また今日もすすき、刈萱、萩、桔梗、音韻として生まれる生は》



一首鑑賞はキリがないのでこのへんでやめておくが、
僕が掲げた歌は31音という音数の制約のうえに
「伸びて」「隙間ある状態で」言葉が載り、
制約を宇宙的所与にして跳ね返している好例といえるだろう。
結果、短歌の枠組自体を「宇宙」と捉えかえす契機も生ずる。
歌人の神秘性とは、まさにこの点にある。

望月さんの歌で膠着を感じるときには
短歌という器に言葉がうまく載っていないという判断がある。
「不足」か「過剰」。
ただ「過剰」のときは詩想があふれすぎての失策という気もする。

彼女の素晴らしい歌にはみな「調べ」がある。
この「調べ」の感覚が、器に言葉を載せる際の法則をなす。
「世界構造の探究」とそれは同時的なものだろう。
歌人の個性もそこに宿る。
斎藤茂吉、岡井隆、葛原妙子、安永蕗子・・・



歌集の編集は、詩集や句集同様、難しい。
評論集や小説ではあまり起こらない問題だ
(いや評論集はあるかな――短篇集も――
ならばCDに歌曲を集める場合も)。
僕は器に言葉を載せる感覚と
紙や音盤という「基底材」に「部分」を載せる感覚が
相等しい、ともおもう。

これらの点を望月さんが今後さらに含んでくれたら。
すごく期待しています。

             (2007年06月19日) 

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春村蓬さん 紹介して下さってありがとうございます。                 

★春村蓬さんのブログ『さみどり短歌』5月25日 http://plaza.rakuten.co.jp/yomogi619



  五月の風に吹かれながら、ベランダで読んだ『銀河最終便』
望月祥世氏の第一歌集である。
一ページに八首。読み応えがある。
氏は『開放区』の同人であり、またネット上で活躍されている。
私はよく氏のホームページ上で氏の短歌を読ませてもらい、たくさんの勇気と感動を
もらってきた。

クレッシェンド・デクレッシェンドどうしろというのだ降ったりやんだり雨は

バルトーク・ベラ、ベラ・バルトークいずれでもいずれにしても生き難き生


覚悟の破調と、感覚を研ぎ澄ませて直感的に選択された言葉の響きが、氏の歌のなかで光る。


致死量の愛を点滴するように深夜に雫する雨の音

遠く去る鳥には鳥の歌があり水没樹林に降る雨がある


「致死量の愛」 この言葉には参ったな。
氏の相聞はあるときは雨、あるときは花や音楽、そして宇宙といった姿で詠まれているが、
そんななか、この一首は珍しく熱い血を感じた。
それも地球に致死量の愛を点滴している。すごい。


接線を一本引けば現れる まだ生傷の絶えない地球

眠ろうとしてもなんだか眠れない ふつうに戦争している時代

仰ぎ見る文月の空の流れ星 戦場に人は撃たれていたり

失って滅びていつか消えてゆくそれでも人は夢見るさくら

日常はそんなときにも日常であったであろう投下直前

野のはてにタンポポ枯れて綿毛飛ぶ 日本に帰りたいしゃれこうべ


女性歌人にとって難しいテーマを、氏はまっすぐに見据えている。
この勇気と力が私にはない。
致死量の愛とは、自分という小さなものを突き破って地球規模、いや宇宙規模の
愛の量なのだろう。この歌集の意味がだんだん見えてくる。
しかし、氏の目は遠くばかりを見ているのではない。


華麗なる変奏曲を聴くように春の逃げ水走る野火止

野火止の鴨の平穏確かめて小さな橋のたもとを通る

今日の日が無事に過ぎたということの続きに咲いて深山苧環

もっこりとふくらむ鴨が水を掻く 冬がきている野火止用水


通り過ぎてしまいそうだが、ふと心惹かれる。日常こそが詩なのだと思う。
思ったときにとどめのように現れた次の一首。


究極のシュールは写実であるというダリの直感的なパンの絵


私はやっぱり短歌に恋をしている!
再認識させられてしまった『銀河最終便』を閉じたとき、裏表紙にやられた。
そこにあったのは、表紙の銀河を遠く眺めているガリレオ。その望遠鏡。
はらはらとある歌が胸に落ちてきた。


あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ/永井陽子



そうか、そうだったのか。


わが影をしたがへ冬の街に来ぬ 小さなバイオリンが欲しくて/永井陽子


ソノヒトガモウイナイコト 秋の日に不思議な楽器空にあること


大それた発見のように、本当はこんなことは書かないほうがよいのかもしれない。
が、あえてお許しをいただこう。
この歌集の底にながれている哀しみをともなった致死量の愛は、ひと、花、地球、
宇宙、そして未来への挽歌なのかもしれない。


ライラック苦しきことを忘れんと買い求めくる水無月の花

大切な一日のため雨よ降れ しずかにひらいてゆく花がある

あの貨車は今どのあたり過ぎている 遠い銀河をゆく夏燕

千年を眠るためには千年を眠れる言葉が必要であり

一日の終わりは早い 散り急ぐ花であったと時間を思う

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