WEB版 歌集『銀河最終便』 &メモ /風間祥
Finality mail of the Milky Way

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『歌壇』9月号「歌集歌書の森」で、落合けい子さんが書評を書いて下さいました。                 

望月祥世歌集『銀河最終便』    落合けい子

 宙を漂うような寂しさと孤独感がない交ぜになっていて切ない。
日常の呟きのような言葉が、つぎつぎ泡のように浮かんでは消えてゆく。
望月さんは、その一瞬一瞬の言葉を必死で繋ぎ留めようとしているようだ。

  誰一人訪ねる人のない家に似ている 風が過ぎた青空
  木登りの上手な猿と下手な猿 上手な猿はいつまでも猿
  雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨 甍に軒に私に降る

 一首目の比喩はとても個性的で魅力的。しかも奇妙なリアリティが存在する。
猿の歌はやや理が見えるけれども、省略の効いた良い歌だと思う次の歌の雨の表記はあまり成功しているとは思えない。
偶々一字開けの歌が揃ったが、意味的内容を詰め込む傾向にあるようだ。
故に一字開け多用になるのではないだろうか。
歌意から開放されて、リズムに乗った時、望月さんの歌は美しい世界を展開する。

  今日もまた夢を見ている夢見ればあなたに逢える 硝子の狐

 紙幅の関係で詳細には触れられないが、製作順の三部構成で、第一歌集というのも分かるのだけど、一一一九首は多いと思う。巻頭歌と、本集とは角度の違う歌を挙げておきたい。

  光彩を放っているね移り気な忘恩の花ラナンキュラスよ
  絵葉書のグラン・ブルーに百匹のイルカが描く海の曲線


  (本阿弥書店 二〇〇〇円税別)
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私信の中で選んで下さった歌                 
松村由利子さん  
・バルトーク、ショスタコビッチ、プロコフィエフ  圧政ありて鳴り出だす音
・森の奥 予言の鳥は飛んだかしら シューマンの鳥、眠りの森の
・わたくしが雨であるなら弾かれて草の葉つたう雨の一粒
・細心の注意を払って生きなさい 昨日生まれた月の繊さで
・全部嘘、たとえそれでもいいじゃない 舞台には降る太鼓の雪が

内野光子さん  
・森の樹の小枝であったその時も風は知らずに吹きすぎていた
・大切な一日のため雨よ降れ しずかにひらいてゆく花がある
・あの時は逃げられなかった今ならば逃げられるかしら列を乱して
・眠ろうとしても何だか眠れない 普通に戦争している時代
・映すのはやめて下さい 被災者の一人は疲れた明日の私
・千年を遥かに越えて生きている大きな樹ならわかってくれる
・命令を下されるため私たちは生まれて来ているわけではなくて
・もう過去のものと葬り去るようなこの書き方だって問題ではある
・万世が一系というそのことの何が尊くまたはそうでなく
・その前に日本人は 世界の人に先だって忘れるヒロシマ

岡貴子さん  
・でもやがて魚が中に入って来て 私は魚になっていました

青柳守音さん  
・少し前まで誰かを愛していたような真っ赤に炎えている七竈

前川博さん  
・ソノヒトガモウイナイコト 秋の日に不思議な楽器空にあること
・もう飛べない飛びたい夢ももう持たない東京湾に夕日が落ちる 
・原潜が浮上している春うらら東京湾に立つ蜃気楼  
・この星のどこかに必ずいるだろう 反世界にも雨のかたつむり
・菜の花のような四月の日暮れ時 あなたは元気にお過ごしですか
・問題は終わってしまってから生きるその生き方のことではあるが

熊谷龍子さん   
・やがてもう死もなく生もない世界 時が洗っていった砂浜
・昨日また誰か死んだね、雨の燕「いつもこの駅で降りていた人」
・変わらない日々の中にも終楽章もう近いことを告げて花咲く
・ほんとうは誰にも何にも興味なくエノコロ草は風に吹かれる
・この後の悲喜にどうして堪えてゆく靄と霞と霧の差ほどの
・青空の向こうの向こうまで一人 一番好きな時間の形
・眼下には桃源郷が広がって葡萄の丘がそれに続いて
・つくづくと薄情者で非人間 それが私と雨を見ている

真中朋久さん  
・雨の音聴きながら見る財田川 財田川河口の廃船
・夏来ればさやぐ身なれば白い旅 水呑む龍が睨む一水
・古の青磁の海に泳ぐ魚 神無月という陽のやわらかさ
・あの貨車は今どのあたり過ぎている 遠い銀河をゆく夏燕
・木はのぼり木は広がって密生すジャスミンの木の香る三叉路
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『氷原』8月号「新集一首」で、                 


三崎規子さんの一首評を頂きました。
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「新集一首」

・抵抗の手段としては弱すぎる もちろんそういうことはあります
   望月祥世=『銀河最終便』(本阿弥書店)     
  
「抵抗の手段としては弱すぎる。」
私も、今までに何度もそう言われた。
その度に、目の前に立ちはだかっている現実の重さに打ちひしがれ、
次第に抵抗することをあきらめるよようになった。
私達が容易に受け入れることができない現実とは、
例えば、いやおうなく定まっていく社会の仕組み、組織や家庭の中で自動的にあてがわれる役割分担、あるいはとどめようもない速さで過ぎていく時間、そして老いや死、などであろうか。
これらの現実に抵抗を試みようとしても、私達に与えられた手段は限られている。
しかし、この歌の作者は決してあきらめてはいない。
果たして「短歌」は抵抗の手段としては本当に弱すぎるのだろうか。
「もちろんそういうことはあります」
作者はいう。しかしこれは決して譲歩ではない。
むしろ、そのあとに続く作者の朗々たる反論の声が、聞こえてくるようである。
                 [三崎 規子]

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