WEB版 歌集『銀河最終便』 &メモ /風間祥
Finality mail of the Milky Way

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依田仁美さんから頂いた歌集評/『開放区』80号                  
 ■望月祥世歌集評(外部寄稿)■
  「突出の噴出、トロイデ形成」   
      ──『銀河最終便』を読む──
                      依田 仁美

       1
 望月祥世さんは今日現在、短歌社会でのひとつの突出である。本
集と同名のサイトを望月さんは持つが、そこには日々夜々、多数の
作品が書き込まれ、その数の膨大さ、継続の雄渾さは際立っている。
 この書き続ける営為こそは、この作家が性急な活火山であり、そ
の胸底に多量のマグマ溜りがあるという証だ。つまり『銀河最終便』
は、いわゆる短歌ジャーナリズムに統制されない領域にある《短歌
性》が轟然、噴出したままに形成された新しいトロイデ火山なのだ。
 冒頭からこのように言い募るのは、この、一、一一九首という作品が
異例に膨大であり、多ければ希薄かといえば、断じてそうではなく、
逆にその多彩ぶりは例えていうならば千の花火、いや近似という
追い方で迫れば、千のMRI画像なのである。MRIの他数の画像が、
瞬間瞬間の部分部分の微妙な差異を眼前に映し出すことによって、
その器官の状態を示すように、この夥しい時々刻々のスライスは、
望月さんの内面を明らかに提示するのに効果を上げている。
 小論は以下、この多彩濃密の意味するところに絞って述べたい。
      ☆
 ほんとうはあなたに告げたかったこと 銀河最終便で届ける
サイトにはある可憐の情趣を残すこの作は本集では締め出された。
過去の代表作よりもさらに深い所にマグマ層が移動したのだろう。
      2
 銀蜻蛉、透明な羽さしのべてあなたの肩に触れていきます  
 蜻蛉の翅とその飛び方のしなやかさを丁寧になぞり続ける描写で
ある。しかし真に注目すべきは、この細かく描写された翅は、単
なる描写で終結していないという点だ。蜻蛉が、誰かの何かの意思
を伝えるように飛んでいると見立てて読者の視線を視界の彼方まで
誘うところにこの作の見所があるのは明白だ。その意図を探ろう。
 さて、多作の人の持ち味の見るべき点はその《返す刀》にある。
斬り終えた点が切り始めになっていることが多いからだ。その
見方でもって目を隣に移すと次の作品がある。 
 峪渡るこだまのひらく季節あり 死はすこやかに育ちつつあり 
 一転して心象詠だが、主題は恥ずかしいほどあらわに《死の必然》
に絞られている。つまり、『蜻蛉』『あなた』の表現の先に暗に示され
ているものは、《死すべきもの》だったのだ。無論、こう書かなくて
も、歌を《知の組み換え》と認識できている読み手は、余韻の読み
としてこれをびしりとキャッチしたことであろうが。
 蜻蛉飼う私の脳は可哀想あまり眠りもせずに夜もすがら  
 今度はわたくしの《返す刀》にお付き合い頂くと、前記両首と遠か
らぬところにこの作品がある。望月さんは『蜻蛉』を自身の脳内に
飼育するという。この『蜻蛉飼う』という想念を、ぽんと投げてくる
この姿勢。見ようによれば《未完というキズ》に映ることだろう。
 しかし作品に素直に即して読めば、作者の意思により脳内に放たれ
ている動く動物を、飼い主の作者が少し迷惑がっているという歌
意は十分に通るのである。自分が自分の本質をもてあますという複
雑な本質をナマの形で呈示したのだ。懊悩は要約できないのだから。
      3
 次は望月さんの観察のスタンス。ここにも個性の突出がある。
 天空に大いなる虹または塩 葉っぱに乗った水滴の虹 
 純粋な培養液の中に棲む諸行無常を培う因子 
 この後の悲喜にどうして堪えてゆく靄と霞と霧の差ほどの 
 
 い麓型Г慮彩を放つ水滴を見ながら、空の虹と『塩』へと歌を
拡げる。葉から一転目を空に向け、虹を仰ぐのだろう。天空には本
物の虹が大きくかかり、塩を撒いたようなざらざらの白雲がある。
 ふたつの虹、マクロコスモスとミクロコスモスをともどもに眺める。
無論表記ではふり仰いだとも書いていないので、水滴に宿る虹を凝
視しながら、その思惟は見えないものいまで遡るのだとも読める。
いずれにせよこれは対比的な観察とも二重構造とも言い得るだろう。
 続くイ録款櫃箸眇綛椋惑櫃魎兒,靴討い襪箸眛匹瓩襪、いずれ
にしても、培養液にこそ死のプログラムが潜むと見ている。この見
方は、断然、段階的な観察であり、展開的構造であるとも言い得る。
 Δ郎8紊糧甦遒虜垢髻懣法戞慍癲戞慳検戮砲覆召蕕譴導潅欧垢襪、
こちらの方は段階的観察、或いは識別構造とも言い得る。
 いずれにしても、単純な描写ではない。整然すっきりを旨とする
短歌創作の常道からは多少外れている。が、実はこの軽やかな逸脱
こそ、遊びの必須条件である《めまい》に近しいものなのである。
     4
 少し急いで、望月さんもうひとつの観点に触れたい。望月さんの
扱う《私》はしばしば《不可知的存在》として表わされる。或いは
《ニュートラルな自我》というものが思考の根幹にあるようなのだ。
 貝殻やわけのわからないものたちが私の身体に一杯ついて 
 いつだってリアルタイムで書いていて私の鳥は記憶喪失 
 私はこのごろ空を見ていない 花の向こうに空はあるのに 

 自己プラス否定語という構造は、それもあまり明確でない否定語
との組み合わせをこれまた《キズ》と呼ぶ論評は大いにあるうる。
しかし、望月さんは実在をありのままに提示したいのだ。彼女はブロ
グの世界に生きている。ブログはいつも進行形。その時点での疑問
は疑問不可知は不可知、ひっくり返して吟味して始末をつける、と
いう所作には馴染まない。だがその分、観察は精細を極める。前節
で述べた、二重性、展開性、識別性、といった特質は、いわば、進
行形に近しいブログ系の発想であろうということを、この本とサイ
ト、つまり両『銀河最終便』を併読して確実に了解したのである。
     5
 さて着地。望月さんの内的処理へのわたくしの総合所見である。
先ず《混沌》を混沌の形で述べている作品がある。人間が真に望む
ものはいかんとも切ない。その切なさを切なく表現するのだ。混沌
を事例レベルで知に組み替える操作の多くは奏功、実に切ない!
 失って滅びていつか消えてゆくそれでも人は夢見るさくら 
 めひかりの眼の海の色 誰だって海を釣り上げられない釣り人 
 実存を鷲づかみする方法を知っているって言っていましたが 
 
 しかりとは言えども、《混沌》を混沌のまま傍観してはならぬとい
う決意も一方でまたある。切ない不条理に対して、健気に知を振り
絞るのだ。既存の秩序への見方を変えた容認や、人間のなしうる条
件変更への期待は次の二首にそれぞれ健気に表わされている。
 落葉あり おまえが散って明るくなる  木々の根方にただ降りしずめ 
 接線を一本引けば現れる まだ生傷の絶えない地球 
 
    
      ⊂vs<

 真新しい溶岩円段丘ことトロイデはかく聳えたつ。金字塔ことピ
ラミッドとは明らかにその風貌を異にしながら。

                  (2007年10月15日発行『開放区』80号)
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